母親はなぜ、子どもにしがみついてしまうのか
- ladybirdm1206
- 6 日前
- 読了時間: 3分
朝、カーテンを開けるのが怖かったあの頃。娘たちが不登校だった時期。 どうして、あんなにも必死だったのか。

子どものため。もちろん、それもあります。
でも――それだけではありませんでした。 正直に言うと、怖かったのは、私自身でした。
夜になると、布団の中でスマホを握りしめていました。
「不登校 将来」 「不登校 母親の責任」 「このまま どうなる」
検索履歴は、そんな言葉ばかり。
制服姿の学生を見るだけで、胸がざわつく。
「ちゃんと育てられなかった母」 そう思われるのが、怖かった。
子どもが学校に行けなくなると、 自分の存在そのものが否定されるような感覚がありました。
「私は母として失格なのではないか」
その思いが、胸の奥にずっと居座っていたのです。
だから私は、“学校に行く”という結果にしがみついていました。
学校に戻れれば安心できる。 元に戻れれば、なんとかなる。
私は大丈夫だと思える。
そう信じていました。
でも、ある日。
娘に言われた言葉があります。
「“お母さんが悪い”って言われるのが一番嫌だった。あの時のお母さんが大嫌いだった」
その瞬間、言い返す言葉が見つかりませんでした。
頭が真っ白になりました。
体の奥から「わぁーーー」と何かが込み上げてくるような感覚。
血が逆流するような、心臓をつかまれたような気持ちでした。 反論したかった。
「私はあなたのために必死だったのに」
そう叫びたかった。
でも、何も言えませんでした。
娘の目が、あまりにもまっすぐで、 私の言い訳を受けつけないように感じたからです。
あのとき、私は初めて気づきました。
私は、娘を責めていたわけではない。
けれど――
自分の不安を、自分の恐れを、
どこかで娘に背負わせていたのかもしれない。
子どもを信じていなかったのではなく、
自分を信じられていなかった。
母親が自分を責め続けていると、家の空気は、静かに重くなります。
子どもは、その空気を驚くほど敏感に感じ取ります。
だからこそ。
最初に整えるのは、
子どもの状況ではなく、お母さんの心。
お母さんが
「私は必死だった」と認めてあげられたとき、
「怖かったんだよね」と自分に言ってあげられたとき。
家の空気は、ほんの少し変わり始めます。
あの娘の言葉は痛かった。
今でも思い出すと、胸がぎゅっとします。
でもあの言葉があったからこそ、
私は“結果”ではなく、“心”を見られるようになりました。
しがみついていたのは、
子どもではなく、
「失格になりたくない自分」
だったのかもしれません。
それに気づいたとき、私は初めて、
娘と向き合えた気がしました。
今日の気づきが、
明日の笑顔につながりますように。



